仏顔女子降臨

弊社20th Yearにビックなリリース。

 

 

 

 

 

 

仏顔女子降臨。

 

 

 

 

 

 

 

20年前、いや10年前の自分に「お前、50過ぎてから二児の父になるよ」と教えてあげたら、腰抜かすでしょうな。

 

 

 

 

 

 

その当時、子どもなんてそれぐらい縁遠いものだった。

 

 

 

 

 

 

そう考えると人生なにがあるか分からないものです。

 

 

 

 

 

 

そして、50代で子供を授かるなんてロックスターもしくはハリウッドスターの話だと思っていたら、まさか自分が。。。

 

 

 

 

 

 

こちらは令和の蟹工船。。。

 

 

 

 

 

 

これで僕に老後というものはなくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

Born To Run。

 

 

 

 

 

 

 

駆け抜けて一生を終えようと思います。

 

 

 

 

 

 

 


新しいおもちゃ

オムツ替えやお風呂の時など隙を見ては、おちんちんを伸ばしみたり、捻ってみたりする倅。

 

 

 

 

 

 

はじめ、痒いもしくは痛いのかなと心配もしたが、どうやらそういうことでもないらしい。

 

 

 

 

 

 

そうなると別の心配が。。。

 

 

 

 

 

 

他の子もこんな風に触って遊んでたりするのだろうか。

 

 

 

 

 

 

ここは同年代の子をたくさん見ている保育園の先生に聞くしかない。

 

 

 

 

 

 

しかし、倅が通っている保育園は先生と言っても基本20代のうら若き乙女。

 

 

 

 

 

 

幼児のこととはいえ、シモ事情を髭面のおじさんが聞くのは、なかなか気が引ける。

 

 

 

 

 

 

しかし、そこは可愛い我が子のため。







頬を赤らめながら先生に相談。






すると「男の子ではよくあることですよ」とのこと。

 

 

 

 

 

 

おそらくおもちゃみたいな感覚なので、他にお気に入りのおもちゃが見つかれば、収まると思いますよと。

 

 

 

 

 

 

そして「早く夢中になれる新しいおもちゃが見つかるといいね」と笑顔で倅に語りかける先生。







それを聞きながら、「先生、私50年以上生きてますが、まだ新しいおもちゃが見つかってないのですが、どうしたらいいでしょうか。。。」と喉元まで出かけ、ぐっと飲み込む父。

 

 

 

 

 

 

男の一生とは、すなわち新しいおもちゃを見つける旅。

 

 

 

 

 

 

願わくは死ぬまでに“新しいおもちゃ”見つけたいところです。

 

 

 

 

 

 


51年間の物語

付き合いだったり、ノリだったりで、ごく稀に女の子が接客してくれる飲み屋に行くことがある。

 

 

 

 

 


ただ20代の女子との共通の話題はほぼない。

 

 

 

 

 

 

そうなると話はおのずと下ネタ込みの恋愛話へ。

 

 

 

 

 


彼氏はいるの?彼氏は誰似?どんな人?どこで出会ったの?デートはどういうところに行くの?最近いつ・・・?

 

 

 

 

 


非常に不毛だが、飲み屋のお姉さんとの会話でこの類が一番平和な話題。

 

 

 

 

 

 

先日もそんなお店に行った。

 

 

 

 

 

 

ひとしきり不毛な会話を繰り広げた後の帰り道。

 

 

 

 

 

 

夜中の静まり返った街を歩きながらふと思う。

 

 

 

 

 

 

父ちゃんと母ちゃん、初デートはいつどこに行ったんだろう?

 

 

 

 

 


というか、なんて言って誘ったんだろう?

 

 

 

 

 


初デートの日、母ちゃんはどんな服を来て、待ち合わせの場所までどんな気持ちで行ったんだろう?

 

 

 

 

 

 

喫茶店なんかでどんな会話をしたんだろう?

 

 

 

 

 

 

その時、喫茶店のBGMはどんな音楽がかかっていたんだろう?

 

 

 

 

 

 

父ちゃんのどんなところが好きになったんだろう?

 

 

 

 

 

 

これって凄く重要なことのような気がする。

 

 

 

 

 

 

自分がこの世に生を受けるきっかけだから。

 

 

 

 

 

 

ファミリーツリーを辿り、「先祖はこの土地の豪族だったんだ」なんてことを知って喜ぶより、もっと大切なことなのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

でも実際のところ、そんなことを確認したところで、全く覚えていないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

覚えていてもうる覚え、もしくはだいぶ脚色されているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

というか、むしろ脚色されていた方が面白い。

 

 

 

 

 

 

でも本当は、そんなことはどうでも良くて、「恥ずかしいよ」と言いながら、嬉々として話す姿が見たいだけかもしれない。

 

 

 

 

 

 

しかし、残念ながら今はもうその確認もとれないし、嬉々とした姿も見れない。

 

 

 

 

 

 

飲み屋の女の子達にアホ面さげて聞いている暇があったら、なんで母ちゃんにそんな大事なことを聞かなかったのか。

 

 

 

 

 

 

そんなことを思うと、真夜中の住宅街で一人泣きそうになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年、僕と母ちゃんの51年間の物語が終わった。

 

 

 

 

 

 

性格が違い過ぎて、決して仲良し親子という感じではなかったが、母親から非常に愛された自覚はある。

 

 

 

 

 

 

めちゃくちゃ厳しい人だったが、いつ何時でも圧倒的な味方でいてくれた。

 

 

 

 

 

 

「母は強し」なんて言葉があるが、まさにそれを地で行っていた。

 

 

 

 

 

 

でも僕はその愛情にずっと照れてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

四年前の夏に母ちゃんは倒れた。

 

 

 

 

 

 

脳の病だった。

 

 

 

 

 

 

医者から年内もつかもたないかという宣告。

 

 

 

 

 

 

僕は焦った。

 

 

 

 

 

 

それはそれは焦った。

 

 

 

 

 

 

なにがどこにあるかも分からないし、母ちゃんに聞こうにも聞ける状態じゃないし、そして何より「オレ、なんにも親孝行してないじゃん」という焦り。

 

 

 

 

 

 

しかし、その後、ほぼ寝たきりの状態ではあったが、4年生きてくれた。

 

 

 

 

 

 

もしかすると人一倍気の小さい僕を思って、4年かけてゆっくり落ち着かせてくれたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

その間に子供も産まれ、孫の顔を見せられたのは唯一の親孝行か。

 

 

 

 

 

 

ただ、もっと元気なうちに会わせてあげて、抱っことかさせてあげたかった。

 

 

 

 

 

 

さぞ、喜んだだろう。

 

 

 

 

 

 

また、ちょうどコロナ禍と重なり、面会出来ない状態が1年半以上続いた。

 

 

 

 

 

 

その間に病は進行していて、次に会った時には喋ることも出来ず、僕のことを分かっているかどうかも怪しい状態だった。

 

 

 

 

 

 

しかし、最後の2ヶ月は近所の病院に転医したので、毎日お見舞いに行っていたら、言葉は発しなかったが、僕を見ると手を振るようになった。

 

 

 

 

 

 

微かな記憶の中で僕のことを覚えてくれていたのか、単に毎日来てくれる人という認識だったのかは分からない。

 

 

 

 

 

 

でも単純に嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

僕の大好きな玉袋筋太郎氏の名著「男子のための人生のルール」にこんな一節がある。

 

 

 

 

 

 

誰だって、どんな子どもだってたいてい、自分のちっちゃいころの写真を持ってるだろう。自分なりに「これ、けっこうかわいいよなあ」 「雑誌のモデルでもいけてたんじゃないの」って思っちゃう写真だよ。

 

公園のすべり台の上から手を振ってる写真とか、アイスクリーム食べてすごくごきげんな顔してる写真とか。学校にあがる前くらい、まだちいさくて、こっち向いて笑ってる写真なんかが、あるだろう。

 

その写真は、キミの親父が撮ったんだとする。だとしたらさ、その写真に写ってんのは、キミの親父が、確かに見た光景なんだよ。 キミの親父がこうやって世界を見ていた、その光景なんだよ。

 

その真ん中で笑ってるのが、キミなんだよ。

 

親父がどんな気持ちでキミら子どものことをファインダーから覗いてたか、考えてみろよ。もう、好きで好きでしょうがない、って思ってんだ。写真としては一枚かもしれないけど、その向こう側で撮ってたキミの親父の気持ちを思ってくれ。どうか忘れないでくれ。


キミらが親になって、自分の子どもをファインダーで覗いたとき、どういう気持ちで撮るだろうか。きっと、キミが持ってるその写真の向こう側にいた親父さんと、まったく、おんなじ気持ちになるはずなんだ。

 

親の愛情には、照れるなよ。

 

 

 

 

 

 

ここはオレも照れている場合じゃない。

 

 

 

 

 

 

ということで、病室にいる間、母ちゃんの好きな音楽(演歌)をかけ、一方的に話しかけながら、ずっと手を握っていた。

 

 

 

 

 

 

手を握るなんて、幼稚園以来かもしれない。

 

 

 

 

 

 

しかし、それも長くは続かなかった。

 

 

 

 

 

 

某月某日、僕と母ちゃんの51年間の物語は静かに幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

本当にいろんなことがあった51年間だった。

 

 

 

 

 

 

僕が6歳の時に父ちゃんが亡くなった。

 

 

 

 

 

 

そこから女手一つで兄ちゃんと僕を育ててくれた。

 

 

 

 

 

 

その苦労は理解しているつもりだったが、自分が子供をもって、はじめてそのたいへんさが身に沁みて分かった。

 

 

 

 

 

 

そらゃ、厳しくもなるよ。

 

 

 

 

 

 

本当に頑張ってくれたよ、母ちゃん。

 

 

 

 

 

 

こうして毎日ご機嫌に生きていられるのも、すべてあなたのお陰です。

 

 

 

 

 

 

本当に本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

これで父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃんが亡くなり、肉親といえる人はいなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

ただ、今は僕にも奥さんと子供がいる。

 

 

 

 

 

 

ちょっと前まで、自分が結婚するなんて思ってもいなかった。

 

 

 

 

 

 

一生独身なんだろうなと思っていた。

 

 

 

 

 

 

しかし、縁あって、奥さんと知り合い結婚。

 

 

 

 

 

 

ところが、それに安心したのかなんなのか、ほどなくして、母ちゃんが倒れる。

 

 

 

 

 

 

なんだか母ちゃんから奥さんへ僕というバトンが引き継がれたようにも感じる。

 

 

 

 

 

 

いくら一匹狼を気取っても、子供の頃から僕は女性に生かされているような気がする(悩まされてもいるが。。。)

 

 

 

 

 

 

「女の子には優しくしろ」「時間とお金にルーズになるな」というのは、母ちゃんの教え。

 

 

 

 

 

 

実際のところ守れているか、不安なところもあるが、いつも心にとめている。

 

 

 

 

 

 

 

そんな教えを心にとめつつ、僕はもう少し物語を紡いでいこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

最後にこの51年間の物語のエンディング曲を。

 

 

 

 

 

 

非常に短い曲だが、この4年間の僕の気持ちそのもの。

 

 

 

 

 

 

何度聴いても震える(歌詞が聴き取れない方はこちら

 

 

 

 

 

 

来年はいよいよ弊社20周年イヤー。

 

 

 

 

 

 

いろんなことが待っている。

 

 

 

 

 

 

これまで以上に楽しい一年にしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

皆さん、引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

良いお年を。

 

 

 

 

 

 

 


20周年

久しぶりのBLOG更新。

 

 

 

 

 

 

今年はいろんなことが重なり、なんとも忙しい一年だった。

 

 

 

 

 

 

 

特に夏前、諸事情により決行した引越しは、心身共に非常にしんどかった。

 

 

 

 

 

 

そんな引越し準備の最中、十数年、いや数十年振りに見つけた幼少期のアルバムにしばし見入ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

それはおそらく2,3歳頃の写真。

 

 

 

 

 

 

だいぶ小さい時ではあるが、なんとなく当時の記憶もある。

 

 

 

 

 

 

ただそんな写真を見ても懐かしさを超えて、現世での出来事とは思えぬ、前世でのこと、もしくは夢の記憶のようななんとも不思議な感覚に陥いる。

 

 

 

 

 

 

しかし、一方で「50年って、あっという間だったな」という感覚もある。

 

 

 

 

 

 

歳をとって時間の感覚がバグってしまったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

話はかわり、今日(12/12)で弊社も20年を迎える。

 

 

 

 

 

 

子供の頃の記憶と違って、楽しかった出来事も、フラカン言うところの「涙なんかじゃ終わらない忘れられない出来事」も、いろんなことを鮮明に覚えているし、本当にあっという間の20年だった。

 

 

 

 

 

元々音楽業界の門を叩いた時から、いずれ独立するだろうなぁ〜とは思っていた。

 

 

 

 

 

 

それは自立心旺盛というよりも我儘もしくは頑固ゆえ。

 

 

 

 

 

 

自分が好きなことに関して、人に指示されるのがとにかく嫌で、思い通りにやらないことにはとんでもないストレスを感じてしまうから。

 

 

 

 

 

 

そのくせ異様に気が小さい。

 

 

 

 

 

 

実際、会社設立の際、だいぶ鼻息荒く準備を進めていたが、いよいよこの判子をついたら会社が出来るいう段になって「ウソ、ウソ、ウソ、ウソ、冗談、冗談、会社作るなんてカッコつけただけです。。。。」と司法書士の前で喉元まで出かかり、逃げ出す寸前だった。

 

 

 

 

 

 

でもやらずにはいられない。

 

 

 

 

 

 

我ながら非常に持て余す性格。

 

 

 

 

 

 

この性格は子供の頃から変わっていないような気がする。

 

 

 

 

 

 

弊社が20年も続けられたのは、そんなこじれた性格の持ち主と、ちゃんと付き合ってくれた方々がいてくれたからこそ。

 

 

 

 

 

 

そこはもう感謝しかない。

 

 

 

 

 

 

これまで周年記念的なものは、やってこなかった。

 

 

 

 

 

 

でも世の中、成人式なんてものがあるぐらいだから、20周年はあってもいいかなと。

 

 

 

 

 

 

ただ特に派手なことをしたい訳でもない。

 

 

 

 

 

 

ただ、ちょっとした20年の証がほしい。

 

 

 

 

 

 

ということで、ご近所の若き画家、翼くん a.k.a.SAKURAOKA(@blues_illustration_)にグローバル・ツイスト20周年のイラストを描いてもらう。

 

 

 

 

 

 

 

チャンピオンベルトに会社名(GLOBAL TWIST)と20thの文字。

 

 

 

 

 

 

プロレス好きな自分にピッタリ。

 

 

 

 

 

 

また、僕は元々、とあるインディーレーベルからキャリアをスタートさせたのだが、そこのロゴが力こぶ💪。

 

 

 

 

 

特に翼くんに「こんな感じで」とリクエストした訳ではないが、このマッチョな感じが自分的には原点を彷彿とさせる。

 

 

 

 

 

 

翼くん、ありがとう〜。

 

 

 

 

 

 

そして、せっかくなので、このイラストでTシャツを制作することに。

 

 

 

 

 

 

近所の飲み屋で仲良くなったYUTA君の高校時代の連れがやっている錦糸町のTシャツ屋「BLANK BOX」へ依頼。

 

 

 

 

 

 

お陰様でご機嫌なTシャツが出来上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基本的に自分へのご褒美用に小ロットだけ制作したものですが、若干在庫あります。

 

 

 

 

 

 

購入希望の方いましたら、DMもしくはこちら↓まで

https://global-twist.shop-pro.jp/?pid=178504209

 

 

 

 

 

 

関係者の皆さん、20周年のお祝い、もしくはお布施だと思って是非w。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3年前に子供が産まれ時、世の中はちょうどコロナ禍。

 

 

 

 

 

 

仕事も飲み屋もほぼ止まる。

 

 

 

 

 

 

ただそのお陰でジョン・レノン気分で子育てに専念出来、生活習慣も無理なく滑らかなシフトチェンジが出来たと思う。

 

 

 

 

 

 

もしコロナ禍でなかったら、正直ここまで子育てに積極的だったか。。。

 

 

 

 

 

 

それは僕にとってのコロナの功罪。

 

 

 

 

 

 

でも、来年は20周年YEAR。

 

 

 

 

 

 

そろそろStarting Overする時が来たなと。

 

 

 

 

 

 

先程も書いたように特に派手なことをしたい訳ではない。

 

 

 

 

 

 

ここは改めてレーベルという原点に立ち返ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

今回、イラストやTシャツを地元で制作したのも、原点=地元というところか大きい。

 

 

 

 

 

 

面白いものは意外と近くにあったりする。

 

 

 

 

 

 

そんなこともコロナを経て気づいたことの一つ。

 

 

 

 

 

 

来年は色々リリースしていこうと思うので機会があったら是非聴いてやってください。

 

 

 

 

 

 

そして、このBlogももう少し更新頻度をあげていこうと思います笑。

 

 

 

 

 

 

引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

 

 


菅谷晋一個展 Shinichi Sugaya Solo Exhibition

久しぶりの御茶ノ水。

 

 

 

 

 


とりあえずディスクユニオンを覗いてみる

 

 

 

 

 


ジャケットに写るメンバーたちと目が合ったような気がしたので、とりあえずこちら↓を購入。

 

 

 

 

 

 


本日の目的は、ザ・クロマニヨンズ、OKAMOTO’Sなどのレコードジャケットを手掛けるデザイナー、菅谷晋一さんの個展  Shinichi Sugaya Solo Exhibition。

 

 

 

 

 

 

 

ジャケットに使用された原画やオブジェが非常に見やすく展示され、グッとくる。

 

 

 

 

 

 

中には「これもオブジェだったの?」と驚かされるものも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても一体なんでこんなことを思いつくのだろうか。

 

 

 

 

 

 

その発想力(イマジネーション)、センス、行動力に震える。

 

 

 

 

 

 

バンドのメンバーもデザインが上がってくるのが、さぞ楽しみだろうなぁ〜と思う。

 

 

 

 

 

 

また、今回ジャケットに使用された原画やオブジェ以外にも、パーソナルな作品として制作しているモノクロームの世界の新作と立体作品も展示。

 

 

 

 

 

こちらも本当に素晴らしい。

 

 

 

 

 

 

また、菅谷さんとは数年振りにお会いしたが、相変わらずの優しい口調でホント癒される。

 

 

 

 

 

 

また飲み行きたな〜。

 

 

 

 

 


そんな夢心地な個展を観た後、久しぶりに共栄堂でカレーライス。

 

 

 

 


楽しい作品を観れて、美味しいカレーライスも食べれてご機嫌な1日。

 

 

 

 

 

 



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