付き合いだったり、ノリだったりで、ごく稀に女の子が接客してくれる飲み屋に行くことがある。
ただ20代の女子との共通の話題はほぼない。
そうなると話はおのずと下ネタ込みの恋愛話へ。
彼氏はいるの?彼氏は誰似?どんな人?どこで出会ったの?デートはどういうところに行くの?最近いつ・・・?
非常に不毛だが、飲み屋のお姉さんとの会話でこの類が一番平和な話題。
先日もそんなお店に行った。
ひとしきり不毛な会話を繰り広げた後の帰り道。
夜中の静まり返った街を歩きながらふと思う。
父ちゃんと母ちゃん、初デートはいつどこに行ったんだろう?
というか、なんて言って誘ったんだろう?
初デートの日、母ちゃんはどんな服を来て、待ち合わせの場所までどんな気持ちで行ったんだろう?
喫茶店なんかでどんな会話をしたんだろう?
その時、喫茶店のBGMはどんな音楽がかかっていたんだろう?
父ちゃんのどんなところが好きになったんだろう?
これって凄く重要なことのような気がする。
自分がこの世に生を受けるきっかけだから。
ファミリーツリーを辿り、「先祖はこの土地の豪族だったんだ」なんてことを知って喜ぶより、もっと大切なことなのではないかと思う。
でも実際のところ、そんなことを確認したところで、全く覚えていないかもしれない。
覚えていてもうる覚え、もしくはだいぶ脚色されているかもしれない。
というか、むしろ脚色されていた方が面白い。
でも本当は、そんなことはどうでも良くて、「恥ずかしいよ」と言いながら、嬉々として話す姿が見たいだけかもしれない。
しかし、残念ながら今はもうその確認もとれないし、嬉々とした姿も見れない。
飲み屋の女の子達にアホ面さげて聞いている暇があったら、なんで母ちゃんにそんな大事なことを聞かなかったのか。
そんなことを思うと、真夜中の住宅街で一人泣きそうになる。
今年、僕と母ちゃんの51年間の物語が終わった。
性格が違い過ぎて、決して仲良し親子という感じではなかったが、母親から非常に愛された自覚はある。
めちゃくちゃ厳しい人だったが、いつ何時でも圧倒的な味方でいてくれた。
「母は強し」なんて言葉があるが、まさにそれを地で行っていた。
でも僕はその愛情にずっと照れてしまっていた。
四年前の夏に母ちゃんは倒れた。
脳の病だった。
医者から年内もつかもたないかという宣告。
僕は焦った。
それはそれは焦った。
なにがどこにあるかも分からないし、母ちゃんに聞こうにも聞ける状態じゃないし、そして何より「オレ、なんにも親孝行してないじゃん」という焦り。
しかし、その後、ほぼ寝たきりの状態ではあったが、4年生きてくれた。
もしかすると人一倍気の小さい僕を思って、4年かけてゆっくり落ち着かせてくれたのかもしれない。
その間に子供も産まれ、孫の顔を見せられたのは唯一の親孝行か。
ただ、もっと元気なうちに会わせてあげて、抱っことかさせてあげたかった。
さぞ、喜んだだろう。
また、ちょうどコロナ禍と重なり、面会出来ない状態が1年半以上続いた。
その間に病は進行していて、次に会った時には喋ることも出来ず、僕のことを分かっているかどうかも怪しい状態だった。
しかし、最後の2ヶ月は近所の病院に転医したので、毎日お見舞いに行っていたら、言葉は発しなかったが、僕を見ると手を振るようになった。
微かな記憶の中で僕のことを覚えてくれていたのか、単に毎日来てくれる人という認識だったのかは分からない。
でも単純に嬉しかった。
僕の大好きな玉袋筋太郎氏の名著「男子のための人生のルール」にこんな一節がある。
誰だって、どんな子どもだってたいてい、自分のちっちゃいころの写真を持ってるだろう。自分なりに「これ、けっこうかわいいよなあ」 「雑誌のモデルでもいけてたんじゃないの」って思っちゃう写真だよ。
公園のすべり台の上から手を振ってる写真とか、アイスクリーム食べてすごくごきげんな顔してる写真とか。学校にあがる前くらい、まだちいさくて、こっち向いて笑ってる写真なんかが、あるだろう。
その写真は、キミの親父が撮ったんだとする。だとしたらさ、その写真に写ってんのは、キミの親父が、確かに見た光景なんだよ。 キミの親父がこうやって世界を見ていた、その光景なんだよ。
その真ん中で笑ってるのが、キミなんだよ。
親父がどんな気持ちでキミら子どものことをファインダーから覗いてたか、考えてみろよ。もう、好きで好きでしょうがない、って思ってんだ。写真としては一枚かもしれないけど、その向こう側で撮ってたキミの親父の気持ちを思ってくれ。どうか忘れないでくれ。
キミらが親になって、自分の子どもをファインダーで覗いたとき、どういう気持ちで撮るだろうか。きっと、キミが持ってるその写真の向こう側にいた親父さんと、まったく、おんなじ気持ちになるはずなんだ。
親の愛情には、照れるなよ。
ここはオレも照れている場合じゃない。
ということで、病室にいる間、母ちゃんの好きな音楽(演歌)をかけ、一方的に話しかけながら、ずっと手を握っていた。
手を握るなんて、幼稚園以来かもしれない。
しかし、それも長くは続かなかった。
某月某日、僕と母ちゃんの51年間の物語は静かに幕を閉じた。
本当にいろんなことがあった51年間だった。
僕が6歳の時に父ちゃんが亡くなった。
そこから女手一つで兄ちゃんと僕を育ててくれた。
その苦労は理解しているつもりだったが、自分が子供をもって、はじめてそのたいへんさが身に沁みて分かった。
そらゃ、厳しくもなるよ。
本当に頑張ってくれたよ、母ちゃん。
こうして毎日ご機嫌に生きていられるのも、すべてあなたのお陰です。
本当に本当にありがとうございました。
これで父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃんが亡くなり、肉親といえる人はいなくなってしまった。
ただ、今は僕にも奥さんと子供がいる。
ちょっと前まで、自分が結婚するなんて思ってもいなかった。
一生独身なんだろうなと思っていた。
しかし、縁あって、奥さんと知り合い結婚。
ところが、それに安心したのかなんなのか、ほどなくして、母ちゃんが倒れる。
なんだか母ちゃんから奥さんへ僕というバトンが引き継がれたようにも感じる。
いくら一匹狼を気取っても、子供の頃から僕は女性に生かされているような気がする(悩まされてもいるが。。。)
「女の子には優しくしろ」「時間とお金にルーズになるな」というのは、母ちゃんの教え。
実際のところ守れているか、不安なところもあるが、いつも心にとめている。
そんな教えを心にとめつつ、僕はもう少し物語を紡いでいこうと思います。
最後にこの51年間の物語のエンディング曲を。
非常に短い曲だが、この4年間の僕の気持ちそのもの。
何度聴いても震える(歌詞が聴き取れない方はこちら)
来年はいよいよ弊社20周年イヤー。
いろんなことが待っている。
これまで以上に楽しい一年にしたいと思います。
皆さん、引き続きよろしくお願いします。
良いお年を。